代表の方々に実際にきものを着ていただきながら、
きものと着付の説明をさせていただきます。
洋服の上から着られます。
通常のキモノ同様に
最初は長襦袢から着ます
次にその上にキモノを
着ます
優雅で美しいきものは日本の民族衣装の一つです。現在のきものは室町時代にその基礎が築かれ安土・桃山時代に確立されました。きものは一反の細長い布を全て直線で裁ち、直線縫いが基本となった衣服で、大きな特長はその仕立てに有ります。直線裁ち・直線縫いで縫い代を裁たずに余分なものは縫い込んだままですので洗う時に、一旦きものを解き、つなげるとまた元と同じ一反の細長い反物になります。ですから次に仕立てるときには肩幅を出したり、袖の長さを調節して仕立てる事が可能です。昔の方は皆和裁が出来ましたので親から子、孫へと体型が変わっても譲っていける訳です。また、きものは洋服と違って、同じデザイン(型)でありながら多少の身長差、体型差は調節できるように作られています。日本は高温多湿で四季の変化に恵まれた国です。きものはこの日本の気候に合わせて袖や身幅を広くとり、また重ね着することによって体温調節が可能にできています。 この豊な自然の美しさの中で育て上げられたきものは平面で構成されていますので、広げると一幅の絵のように絵画的な模様づけが容易で四季折々の紋様装飾が施され、染織技術の向上と共に工芸品としても高く評価されています。 きものは日本人が長い歳月をかけて、その気候・風土、生活の中で培い、またその時代時代の社会的環境の影響を強く受けながら様々に変化をしてきました。原始時代の服装は埴輪や土偶に見られるように二部式の洋服の感じがしていました。
飛鳥・奈良時代には大陸文化の影響を受け、唐風のものになり、続く平安時代も中期になると国風文化の影響を受け日本独特の源氏物語に見られるような服装が作られました。現在、皇室の儀式で用いられる束帯や十二単など、雛人形にもその形が残っている広幅の大きな衣裳です。次の鎌倉時代になるとそれまでの公家社会から武家社会へと変わり、質素で活動的な衣服へと変化します。簡略化を繰り返しながら少しずつ変化をし、江戸期には様々な帯結びも生まれました。その後の近代化に伴い戦後は生活様式の変化もあり、現在では産着、お宮参り、七五三、卒業式、成人式、結婚式、お茶会などで用いられる程度になりました。しかし、日本の伝統文化である能や歌舞伎の舞台、相撲の行司の装束、各地の時代祭り、映画やテレビの時代劇などそれぞれの時代の衣裳を目にする機会はたくさんあります。 きものは染め替えたり、仕立て直しをしながら孫の代まで受け継がれる衣服として永く保存されています。近年、親から子へと着方や用途が伝わらず一人で着られる人が少なくなりました。しかし、ここ数年若い人を中心にゆかたブームが起こり、それにつれてきものを習う人も増え、街できもの姿を見かけることも多くなりました。少し前までは古くなったきものはどんどん姿を変え、大きなものから小さなものへとリサイクルを繰り返し、小さな布であっても子供の遊ぶお手玉になったり、最後ははたきにまで利用してその命を生かしたものです。日本人の物を大切にする‘もったいない’精神が活かされていたのかも知れません。礼装着から普段着まで、きものを通して日本の心を楽しんでみてください。